頂き物
秋野茅緒様

秋野茅緒様から、『Eternity+』開設2周年のお祝いに小説をプレゼントしてくださいました。
タイトルは、『MOONLIGHT』です。
このお話は、前にリクエストして書いて頂いた小説『JUPITER』の続編にあたります。
「書いてみたい」とは仰っていましたが、本当に書いてくださるなんて!
丁寧な描写、キャラの個性、ハッとさせられる場景の美しさ。
芸術的な音楽小説の世界に、ぜひ皆さんも浸ってみてください。
秋野さん、嬉しいお祝いをありがとうございました!

秋野茅緒(現カタクラ)様のサイトはこちら→ Jellybeans


++ MOONLIGHT ++

「全然ダメ」
事無げに言って、オリヴァーは譜面を放り投げた。10枚に及ぶ、新曲になり損ねたそれは、秋風に吹かれた黄葉の大群の如くはらはらと宙を舞い、辺りに散乱した。
もう何度目だろう。自分の作品がこんな扱いを受けるのは。
ノアはもう溜息もつけず、自分の指定席であるアンティークもののグランドピアノの上にあぐらをかいて、腿に頬杖をつき万年筆で五線譜を埋めていく作業に戻ったオリヴァーの横顔を恨めしげに見つめた。
「全然ダメって言ったろ。書き直しだよ」
何秒か後、手を止めず目線すら動かさないで、オリヴァーが鋭い言葉を発する。ノアは後ろ髪を引かれる思いで彼に背を向けた。床に散らばった譜面はそのままだ。一度「それはいらないから拾わないでいい」と言われてから、後で拾い集めることにしていた。






ひょんなことから彼が経営するこの店の従業員となって、早2ヶ月が過ぎた。
夕方は日が落ちる前に店に入り、朝は日が昇る前に戸締りをして帰る。そんな、まるで現代にうまく順応しかけたヴァンパイアにでもなったような生活スタイルは、少し変わっていて、ノアをある程度満足させてくれている。
しかし――。
ピアノの上でまだ万年筆を動かしている男の横顔を、自分の持ち場であるカウンターに戻ってからもまだ、ノアは見つめていた。掴み所がなく服装も話し方もルーズなくせに、音楽のことになると豹変し天才的な才能を見せる男。
彼には一曲のJUPITERという歌を認められてパートナーとしてスカウトされたわけだが、そのJUPITER以来、ふたりで演奏する曲として採用されたものは未だ皆無だった。大抵、今のように楽譜に目を通しただけで即判断を下される。始めの頃は、せめて最初の数枚だけでも弾いてみて欲しいと進言していたが、すぐにやめた。
彼には、分かるのだ。
譜面を見ただけで、全ての音を正確に頭の中で再現できるのだ。
絶対音感。それを極めた者には、生活音――車のエンジン音、窓の開閉音、足音、フライパンの肉が焼ける音、風の音、果ては話し声まで全てを音階で聞くことが出来る・・・・・・いや、聞こうと意識しなくても自然と聞こえるらしい。そういう人がいるというのは、楽団にいる時に教わった。
オリヴァーはまさにその人だった。
「この小節の第二和音が弱い」
「このアルペジオではダメだな。貧弱だし流れもない」
「伴奏と主旋のバランスが悪い。伴奏が強すぎるし主旋は軽すぎる」
などと切り捨てられると当然いい気はしない。だが後になって彼の意見が正しいと分かる度、その能力に驚倒し、彼の才能を信認していった。せざるを得なかった。
それに彼は抜群の記憶力も持っていた。
不合格とされた曲の一部を再利用したりすると、一発でバレる。昨日注文したものやスケジュールなどはすぐに忘れてしまうくせに。
(まったく・・・・・・変なやつなんだから)
これほど極端な性質を併せ持つ人も、なかなかいないだろう。
(・・・・・・でも、敵わないんだよね)
悔しさと諦めの混ざったため息。そこには羨望も含まれている。それは時に嫉妬という醜い感情をも引き起こすが、対象との差がありすぎると、逆に羨望の度合いは高まるものだ。オリヴァーの場合もそうで、ノアは純粋に彼の才能への憧れを強め続けている。
彼のようになりたいと思わなかったわけではない。この才能が自分にあればとどれだけ願ったかしれない。けれど、努力だけでは決して手に入れることの出来ないであろうそれを、すぐ近くで感じていられる。それだけで今は充分だった。






とはいえ、彼のほうはどうだろう、とノアは不安になる。
この2ヶ月で作った曲を片っぱしから突き返されている。呆れられているのではないか。見限られるのではないか。
ぞっとするが、有り得ない話ではない。
ノアに期待して誘ったことが間違いだったと気付いたら・・・・・・他にもっといい曲を作る人が現れたら・・・・・・。
(そんなのは嫌)
その為には作らなければ。
オリヴァーに認められる歌を。
(ボーッとしてる場合じゃないんだわ・・・・・・)
姿勢を正してイメージを切り替えようとする。
が、さっきまでノアの頭の中は、オリヴァーのお眼鏡にかなわなかったあのメロディを練ることにかかりきりだった。オリヴァーみたいな天才ならともかく、すぐに別の新しいメロディを思いつくことは出来ない。






今日も、ふたりだけの夜が更けていく。
繁華街にあって、あまりにも静かすぎる夜が。






暗い、暗い、夜。
いつの間にか日付が変わって深夜帯になっていることに、ノアは気付かなかった。お客が来ない、物音ひとつしない店内で五線譜とにらめっこしているうちに眠ってしまっていた。
ピアノの上にオリヴァーの姿はなく、半分ほどに絞られていた照明もいつの間にか落とされていた。
闇と静寂――。
この状態が逆に眠りを妨げる条件になったのか、ノアは突然目を覚ました。目を開けても何も見えないことに驚いて、小さく「オリヴァー?」と声を発した。
返事はなかった。だが呼応するように、ぎい、ぎい、と重い音がした。錆びた古い木戸を押す時の、あの音。
いったい何が起こっているのかと、ノアは椅子に座ったまま後ずさった。明かりをつけなくちゃと思うものの体が動かない。
「オリヴァー・・・・・・?」
ぎい、ぎい、と音は続いている。上からだ。
不審気に眉をひそめて見えない天井を見上げると、そこから一筋の光が差し込んできた。薄い薄い、ヴェールのような、青白い光。
それは不気味な音と共に少しずつ大きくなった。どうやら天窓のようなものがあるらしいと気付いたのは、音が止んで四角い穴が現れた時だった。
その穴からは、まるで蜂蜜を流し込んでいるかのように光が差し込んでいる。ところどころ青白く見えるのは、背景の夜空が映り込んでいるせいのようだ。
「やぁ」
そこにオリヴァーが現れた。四角い穴からひょっこり顔を出して。
「オリヴァー! どうしたの、これ」
視界が明るくなって、ノアはカウンターから出て光の下へ歩いた。ちょうど中央にある舞台上のピアノに、斜めに光が降り注いでいる。
天然のライトに照らされたピアノが暗闇にぽっかり浮いている光景は、ありふれているようだが、実際にはなかなか目にすることは出来ない。ノアの中に静かな感動が生まれていた。
「・・・・・・素敵」
ぽつりと呟いた。あの時と同じ。
オリヴァーと初めて声を重ねた時と同じ、ぞわっと鳥肌立つような、鼻の奥がつうんとするような感動だった。
ああ、本当に綺麗・・・・・・そう感じた時、ふっとあるメロディが浮かんだ。音階ではなくひとつの音の流れとして、そのイメージは頭になだれ込んできた。
「天窓があったってさぁ、すっかり忘れてたよ」
窓から直接二階に飛び降り、階段を跳ねるようにして降りながら、ピアノの上で寝ていたら天井に枠のようなものが見えて天窓の存在を思い出したんだと説明を始めたが、ノアはそんな彼を無視してピアノの蓋を開けた。
「これがまた固くてさぁ、爪が痛くて痛くて。それに埃だらけでほら、手真っ黒になっちゃったよ」
「・・・・・・ちょっとゴメン、黙ってて」
「な、何だよ?」
ノアにしては珍しい険しい声に、オリヴァーはドキッとして足を止める。だが彼女の指が鍵盤に触れ始めたのに気付くと、じっと目を凝らした。
ノアはもやのような微かなメロディを必死に捕え、音にしようとしていた。
天から降る光。月の光。
静かで、儚くて、触れられない光。
だけどここにあって、命を持って輝いている・・・・・・。
ひたすらイメージを保ち続け、そのメロディをピアノの音に変換していく。時々つかえながら、弾き間違えながら、しかし音は確実に彼女の思う通りの形を成していた。
夢中で弾き続けるノアの背後で、オリヴァーは軽く頷いた。
最初に[JUPITER]を聞いた時と同じ手ごたえを感じた彼は、そのまま階段に腰を下ろし、メロディを口ずさんだ。ノアの邪魔にならないよう、小さな声で。そしてそれがメロディとして確実な形に成った時、小さく5回、拍手をした。






「やっと合格ね」
正式にオリヴァーの採用を貰って、ノアはホッと呟いた。
「やれば出来るんだから、最初からやれよ、ちゃんと」
嬉しそうな彼女の隣で、オリヴァーはかわいくないことを言う。だがノアは許してあげることにした。
もう夜が明けている。いつもならアパートに帰ってシャワーを浴び、スープの為のお湯を沸かしながら髪にドライヤーを当てている頃だ。
「ねえ、まさか・・・・・・私の為にしてくれたの?」
「・・・・・・ん? 何を?」
「天窓。開けてくれたの」
なかなか思うような曲を書けないノアがイメージしやすいよう、意識的にああいう演出をしてくれたのだろうと思ったのだが。オリヴァーは朝日にまぶしそうに目を細めながら帽子を目深く引き下げて、肩をすくめる。
「何かの為とかじゃないよ。単に気になったから開けただけ」
特別言い訳がましくもないが、若干不機嫌そうなのは気のせいか。ノアは勘ぐったが、彼はこちらに背を向けて大きく両腕を伸ばしてあくびをしているので、表情を読み取れなかった。
こんなふたりを通りから見たら、こんな時間まで働いて疲れきってだらだらしているんだろうなと思うだろうか。
オリヴァーの手は食器用洗剤で洗っても、結局きれいにならなかった。特に爪の辺りは、ミュージシャンとは思えないくらい黒ずんでしまっていた。そのことが気に入らなくて、真顔で掃除用洗剤を持ち出してきた彼を、ノアも本気になって止めた。そんなものを使っては、汚れは落ちても肌が荒れてしまう。
「ノアー。先行くから」
先に通りまで出ていたオリヴァーがタクシーとノアの両方に手を振る。彼の住所は知らないが、ノアのアパートとは反対方向になるらしい。店を出たらいつも別行動になる。頷いて、ノアも手を挙げた。
一旦タクシーに乗り込んで、すぐに出てくる。
首を傾げるノアにひとこと、
「アレ、仕上げてこいよ!」
と叫び、返事を待たずまた車内に消えた。
オリヴァーの仕上げとは、何もかも完璧にという意味だ。バッグの中の下書きは6枚半。多い枚数ではないが、彼の基準にまで仕上げる為には相当の時間を要するだろう。
通りに出ながら、ふと、朝日を浴びたグランドピアノを想像する。爽やかに澄んだオレンジ色の光に照らされた、古いピアノ。
それはそれで絵になる光景ではある。
だが、やはり昨夜の――実際はもう今日だったが――あの感動には勝てないだろうと思う。
彼は否定したが、あれはやはり自分の為にオリヴァーが考えたことだと思うことにした。本当はそうじゃなく、いつもの気まぐれで起こした行動だったのだろうけれど、結果的には同じことだ。



――本当に、あいつには敵わないんだから。



出勤時間まで半日を切った。
「今日は徹夜(・・)かな」
ノアは嬉しそうに苦笑した。

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